産学連携の契約交渉において、企業知財部を最も悩ませるのが「不実施補償」です。研究機関(大学を含む)側は「自ら実施しない以上、金銭的還元は当然の権利」と主張しますが、これは本当に法の精神、そして現代の社会実装の仕組みに則ったものなのでしょうか。
今回は、特許法第73条第2項の解釈を巡る「原則と例外」に焦点を当て、企業側が抱く違和感の正体と、あるべき論理構成を深掘りします。

1. 特許法第73条第2項:「原則」と「例外」の逆転現象
特許法第73条第2項は次のように定めています。
特許法第73条第2項
「特許権が共有に係るときは、各共有者は、契約で別段の定めをした場合を除き、他の共有者の同意を得ないでその特許発明の実施をすることができる。」
この短い条文を巡り、現場では激しい対立が生じています。
- 企業側の主張(法の趣旨重視): この条文の大原則は「各共有者による自由な実施」である。共同研究は双方がリソースを出し合って生み出した「共有財産」であり、自ら実施することに制約を設けない(無償で実施できる)のが本来の姿である。
- 研究機関側の主張(文言重視): 条文に「別段の定めをした場合を除き」と明記されている以上、不実施機関としての不利益を補填する「別段の定め(不実施補償)」を設けることは、法的に予定された正当な選択肢である。
ここで重要なのは、法律が本来想定していた「例外規定(別段の定め)」が、産学連携の現場ではあたかも「当然適用されるべき標準ルール」へと逆転してしまっているという点です。
2. 【整理】「自由実施の原則」vs「別段の定め」の構図
特許法第73条第2項の解釈において、双方の主張がどのように衝突しているかを整理すると、以下のようになります。
| 項目 | 法の「原則」(企業側の視点) | 「別段の定め」(研究機関側の視点) |
| 法的根拠 | 特許法第73条第2項(本文) | 特許法第73条第2項(但し書き・例外規定) |
| 権利の性質 | 共有者としての固有の権利(自由・無償実施) | 双方の合意によって初めて創出される特約 |
| 前提となる関係 | 対等なパートナーシップ(共創) | ライセンサーとライセンシー(貸借関係) |
| 実務上の位置づけ | 本来のデフォルトルール | 特殊な事情がある場合のオプション |
3. 論理の再構築:なぜ一律の「別段の定め」は課題なのか
研究機関側が「不実施による不利益」を訴える背景には理解すべき点もありますが、その主張を「一律のルール」として適用することには、以下の3つの観点から論理的な無理が生じています。
① 「共有」におけるリスク分担の視点
共有関係における公平性とは、単に利益を分けることだけではありません。企業は共同研究費の拠出に加え、その後の製品化に伴う設備投資、マーケティング、在庫リスクなどの莫大な事業化リスクを100%負っています。一方で、研究機関は研究費が担保されており、事業失敗時の損失リスクは負いません。
この非対称な状況下で、法律が定める「自由実施の原則」をあえて修正し、企業にのみ追加負担(補償金)を強いることは、共有関係におけるリスク・リターンの均衡を著しく欠く結果を招きかねません。
② 「別段の定め」は権利ではなく「合意」の結果
研究機関側は別段の定めを「当然に主張できる既得権」と捉えがちですが、法理的にはあくまで「双方が合意した場合にのみ原則を修正できる」という契約自由の確認に過ぎません。
公的機関としての画一的な知財ポリシーを背景に、この例外規定の受け入れを共同研究の「前提条件(不可避の条件)」とすることは、実質的に「個別具体的な合意」のプロセスを形骸化させ、法の趣旨から遠ざかるリスクを孕んでいます。
③ 社会還元という「公的使命」との矛盾
研究機関の最大の使命は、その優れた知見や研究成果を社会に役立てること(社会実装)です。「別段の定め」を広く解釈し、あらゆる共有特許に一律の不実施補償を課すことは、企業にとっての「社会実装のコスト」を増大させます。
もし補償金の存在が原因で技術の製品化が躊躇され、特許が死蔵されるのであれば、それは「産業の発達に寄与する」という特許法第1条の目的、ひいては研究機関自身の使命とも矛盾する結果となります。
4. 近年の潮流:政府ガイドラインの後押しと「原則廃止」への転換
知財実務の世界では、この「逆転現象」を是正し、法の本来の原則に立ち返る動きが急速に強まっています。
政府の「オープンイノベーション促進のためのモデル契約書(大学編)」や各種ガイドラインでは、産業界の投資意欲を減退させないよう、特に非独占的な実施における一律の不実施補償については慎重であるべき(または原則不要)との方向性が明確に打ち出されています。
これを受け、国立研究開発法人(産業技術総合研究所など)や先進的な主要大学(新潟大学など)では、共同研究契約における共有特許の「非独占実施における不実施補償の原則廃止・柔軟化」への規程改定が相次いでいます。「目先のライセンス収入よりも、迅速な社会実装による経済波及効果や、次の大型共同研究の獲得を重視する」という、本来の産学官連携の姿への回帰と言えます。
5. 結論:あるべきパートナーシップの形
私たちは今、「共有=自由実施」という法の原則が持つ本来の意味を再確認すべき時期にあります。
もちろん、研究機関側の多大な貢献や、企業がその成果を名実ともに独占的に享受する場合(他社へのライセンスを完全に制限する場合)など、個別の状況に応じて「独占的実施補償」を検討することは合理的です。しかし、それは「一律の必須ルール」としてではなく、個別具体的な事案ごとに、その合理性を双方が納得いくまで議論すべき事項です。
真の共創(オープンイノベーション)とは、目先の利益還元に固執するのではなく、共に生み出した成果が社会で花開くための「障壁」を取り除くことから始まるのではないでしょうか。
参照情報リスト
本記事の執筆にあたり、以下の法令、公的マニュアルおよび最新動向を参照しています。
