私たちが毎日使っているスマートフォン、街中を走るコネクテッドカー、そして工場のIoT機器。これらが異なるメーカー間でもスムーズに通信できるのは、「技術の標準化」が行われているからです。
しかし、その標準規格の中には、特定の企業が持つ「標準必須特許(SEP:Standard Essential Patent)」が無数に含まれています。もし特許権者が「うちの技術を使わせない」と独占してしまったら、世界のインフラは止まってしまいます。
この「独占」と「普及」という矛盾を解決するための世界共通の約束事、それが「FRAND(フランド)」です。
近年、このFRANDを巡る潮目が世界、そしてここ日本でも大きく変わりつつあります。最新の裁判実務やリスク判断基準を踏まえ、基礎から最新トレンドまで徹底解説します。

1. FRANDとは何か?:3つの頭文字の正体
FRANDは、標準化団体(ETSIやIEEEなど)に対して、特許権者が「私の特許が標準に採用されるなら、以下の条件で誰にでもライセンスします」と誓約(FRAND宣言)することを指します。
| 英語 | 意味 | 実務上のポイント |
|---|---|---|
| F:Fair(公平) | 手続きの公平性 | 交渉において不当な遅延や威圧を行わないこと |
| R:Reasonable(合理的) | 適切な対価 | 累積ロイヤリティが製品価格を圧迫しない妥当な金額 |
| N-D:Non-Discriminatory(非差別的) | 平等な扱い | 同じ条件のライバル企業間で、特定の会社だけを排除しない |
2. なぜ「FRAND」が必要なのか:ロックインの恐怖
技術が「標準」に決まってしまうと、メーカーはそれを使わなければ製品を作れません。これを「ロックイン(閉じ込め)」と呼びます。
この状態で特許権者が法外なライセンス料を要求することを「ホールドアップ(Hold-up:待ち伏せ)」と言います。逆に、実施者がFRANDを盾に支払いを不当に免れようとしたり、交渉を引き延ばしたりすることを「ホールドアウト(Hold-out:居座り)」と呼びます。
FRANDは、この「待ち伏せ」と「居座り」を防ぎ、両者のバランスを取るための、知財業界における「信義則」のような役割を果たしています。
3. FRAND交渉の「黄金律」:Huawei v. ZTE判決と経産省の指針
「具体的にどう交渉すれば『誠実(FRAND)』と言えるのか?」
この問いに対し、欧州司法裁判所が2015年に出した「Huawei v. ZTE判決」は、今も世界中の裁判所のバイブルとなっています。さらに、日本の経済産業省も2022年に「標準必須特許のライセンスに関する誠実交渉指針」を策定しました。これらに共通する標準的な交渉ステップは以下の4つです。
- 権利者によるライセンスオファー
特許リストや、特許請求の範囲と標準技術の対比を示す「クレームチャート」を提示して通知 - 実施者によるFRAND条件での受諾意思表明
「FRAND条件であればライセンスを受ける意思がある」と回答。不当に交渉を遅延させないことが重要 - 権利者による具体的条件の提示
ロイヤリティの算出根拠(料率など)を具体的に説明・提示 - 実施者による対案の提示
権利者の提示額に納得がいかない場合、実施者は拒否するだけでなく、客観的な算出方法に基づいた「FRANDな対案」を速やかに提示
合意できない場合、実施者はロイヤリティ相当額を供託したり、仲裁を申し出たりして誠実性を示し続けます。このステップを外すと、裁判所で「不誠実な交渉者(Unwilling Licensee)」と見なされるリスクが跳ね上がります。
4. 【激震】「SEPは差し止められない」の終焉:Pixel 7判決と東京地裁の新プロトコル
長らく日本の知財実務では、2014年の知財高裁大合議判決(アップル v. サムスン事件)以降、実施者がライセンスを受ける意思を持つ(誠実である)限り、差し止めは「権利濫用」として認められないのが通説でした。
しかし、この常識は完全に覆りました。
日本初、SEPによる差し止め命令(Pixel 7事件)
2025年6月23日、東京地裁は日本初となるSEP侵害を理由とした製品の差し止め命令(パンテック v. グーグル事件:Pixel 7対象)を下しました。
グーグル側が不誠実(Willingでない)と判断された決定打は、交渉の初期段階ではなく、「裁判所が介在した後の態度」にありました。和解勧告後も、ライセンス料算定に必要な情報の開示に実質的な理由なく協力しなかったことが、差し止めを認める強力な根拠となったのです。
これにより、日本の実務もドイツや欧州統一特許裁判所(UPC)と同様に、「交渉の誠実性を厳格に問う」国際水準へと舵を切ることになりました。
2026年1月「東京地裁の新プロトコル」公表
この流れを受け、2026年1月、東京地裁の知的財産部(TDC)は「標準必須特許を巡る特許権侵害訴訟における手続プロトコル」を公表しました。
特許紛争をグローバルに解決するため、以下のような先進的な枠組みが提示されています。
- 原告(特許権者)は、訴状の段階で「グローバルなFRANDロイヤリティ(日本特許だけでなく世界中のポートフォリオ全体)」を提案することが期待される。
- その際、「トップダウンアプローチ」や「比較可能ライセンスアプローチ」などの具体的な算出根拠を示す必要がある。
実務担当者への教訓: 訴訟に発展した場合、裁判所の指示や情報開示の要求を無視・拒否することは、差し止めリスクを最大化させます。「とりあえず拒否して引き延ばす」という戦術は、今や経営を揺るがす致命的なリスク(製品の販売停止)に直面する時代になったと言えます。EMV(最終製品ベース)へと傾いていますが、自動車やIoT機器のように、製品価格に占める通信機能の割合が低い分野では、依然として激しい議論が続いています。
5. 現代の論争:FRANDの「価格」はどう決まる?と欧州の規制撤回
RANDにおいて最も激しく揉めるのが「R(Reasonable)」、つまり価格(ライセンス料)です。算出のベースをどこに置くかで、業界は二分されています。
- SSPPU(Smallest Saleable Patent-Practicing Unit): 通信チップなどの「最小販売単位(部品)」の価格をベースにする。
- EMV(Entire Market Value): スマートフォンや自動車などの「最終製品」全体の価格をベースにする。
現在、世界の司法判断の多くはEMV(最終製品ベース)を考慮する傾向にありますが、自動車やIoT機器のように「製品価格に占める通信機能の割合が低い」異業種分野では、依然として激しい議論が続いています。

欧州による公的規制案の「撤回」
こうした不透明感を解消するため、欧州委員会は「SEP規則案」を採択し、欧州知財庁(EUIPO)に必須性チェックやロイヤリティ一括レートの決定を行わせる規制を試みていました。
しかし、2025年2月11日、欧州委員会は「合意の見込みがない」として、このSEP規則案を撤回する意向を発表しました。
これにより、行政による強硬な一括管理ではなく、これまで通り「裁判所主導の誠実性判断(新プロトコルなど)」や「特許プール(Avanciなど)」といった民間・司法ベースでの解決が世界的な主軸であり続けることが明確になりました。

6. まとめ:ビジネスパーソンが知っておくべきこと
FRANDは単なる法律用語や知財部だけの問題ではなく、「標準化技術(4G/5G、Wi-Fi、Bluetoothなど)を利用して製品を作る、全企業の生存ルール」です。
日本初の差し止め判決や最新の手続プロトコルが示す通り、交渉の停滞や非協力的な態度は、即座に「販売停止」という最悪の結末を招きかねません。自社製品が通信技術を使っているならば、今一度ライセンス交渉への向き合い方と戦略を再点検する必要があります。
