下記の記事では、製品を安全に世に送り出すための「特許非侵害保証調査(FTO調査)」の重要性と、契約書で「知る限り(ナレッジ・クオリファイア)」を入れてリスクをヘッジする実務テクニックについて解説しました。


しかし、もし御社の製品が5G、Wi-Fi、Bluetooth、あるいは各種映像コーデックなどの「標準規格」を搭載している場合、これまでお話しした「調査をして他社特許を回避する」という大前提が根底からひっくり返ります。
なぜなら、そこには標準必須特許(SEP:Standard Essential Patent)という、避けて通るスキマのない巨大な壁が存在するからです。
「規格に準拠している以上、その特許技術を使っている(=ライセンスがなければ侵害になる)のは100%確実。なのに、契約書には『他社の特許を侵害していないことを保証しろ』と書いてある……」
この矛盾に、現場の法務やビジネスリーダーはどう立ち向かうべきなのでしょうか?今回は、SEP環境下における「非侵害保証」の真の意味と、現場で絶対に死守すべき交渉術、公共のガイドラインを踏まえたリスク整理の仕方を徹底解説します。

1. SEP環境下での「非侵害保証」に意味はあるのか?
標準必須特許(SEP)とは、その名の通り「特定の規格(例:Wi-Fi 6など)に準拠した製品を作るなら、絶対に実施せざるを得ない(回避不可能)特許」のことです。
通常、製品開発時には他社の特許を避けるためにFTO調査を行いますが、SEPに限っては「避ける」ことが技術的に不可能です。ライセンスを未取得の段階であれば、厳密には「他社の特許を侵害(実施)している」状態からスタートすることになります。
この状況において、取引先(販売先・顧客)から提示された「非侵害を保証する」という条項を無条件で受け入れるとどうなるでしょうか?
それは技術的な事実を証明しているのではなく、法的には「万が一、顧客がSEPの権利者から『ライセンス料を払え』と請求されたり、訴えられたりしたら、そのコストや紛争リスクを我が社が身代わりになって全額丸抱えします」と約束したことになってしまいます。
つまり、SEPが存在する世界では、「非侵害保証」は技術的な白黒をつけるものではなく、「発生確率100%に近い経済的リスク(ライセンス料・訴訟費用)をどちらが負担するか」という押し付け合いの道具に変貌するのです。
2. 相手先から「非侵害保証」を求められた際の対応
結論から言えば、通信規格などのSEPが絡む製品において、ベンダー(供給側)は無条件の「非侵害保証」や「特許補償」に絶対に応じてはなりません。ここが現場で死守すべき最前線です。
では、相手の「リスクを負いたくない」という気持ちを牽制しつつ、どのようにマイルドに押し戻すべきか。具体的な「言い換え(修正)」フレーズを見てみましょう。
❌ Before(相手方提案:SEPリスクまで丸抱え)
「甲(ベンダー)は、本製品が第三者の知的財産権を侵害していないことを保証し、万が一第三者から特許侵害のクレームを受けた場合は、自らの費用と責任において乙(顧客)を防御および補償する。」
👇 こう言い換える(標準規格リスクを明確に切り離す)!
⭕ After(自社修正案:標準必須特許の適用除外)
「甲は、本製品が第三者の知的財産権を侵害していないことを保証する。ただし、業界標準化団体等により策定された技術規格(5G、Wi-Fi、Bluetooth等を含むがこれらに限られない)への準拠に起因して不可避的に発生する標準必須特許(SEP)の侵害クレームについては、本保証および次条の補償の対象外とする。」
💡 なぜリスクが激変するのか?
「標準規格への準拠に起因して不可避的に発生する」という適用除外(Exclusion)の条件をはめ込むことで、自社の固有技術(独自のデザインやソフトウェア)の侵害リスクはこれまで通り保証しつつ、業界全体が背負っている「規格の呪縛(SEP)」に関するリスクだけを綺麗に切り離すことができます。
「我が社独自の技術は保証しますが、世の中の誰もが使うWi-Fiや5Gの共通ライセンス料まで我が社が肩代わりすることはできません」という理屈は、交渉の場でも非常に強い説得力を持ちます。
3. 必須特許が含まれる場合の「特許補償」の現実的な落としどころ
しかし、交渉の力関係によっては「SEPリスクを完全にゼロにすることは認められない。一部はカバーしてほしい」と顧客から強く迫られるケースもあります。
通信規格のSEPは世界中に何万件もあり、様々な権利者がそれぞれ数%ずつのライセンス料(ロイヤルティ)を要求してきます。これらをすべてまともに全額補償していたら、製品の利益など一瞬で吹き飛び、事業が破綻しかねません。
ここで多くの法務担当者が「じゃあ、いつもの特許補償条項にある『他社特許に引っかかったら、非侵害の仕様に修正するか代替品を出します』というお決まりの免責文句を入れておこう」と考えがちですが、これが致命的な罠になります。
前述の通り、SEPは「規格に準拠するなら回避不可能」な特許です。Wi-Fiや5Gの機能を維持したまま、非侵害の仕様に「修正」することなど技術的に不可能なのです。つまり、この文言を入れてもベンダーは義務を果たせず、即座に「契約解除・全額返金」か「巨額の損害賠償」の二択に追い込まれます。
では、どうしてもSEPを補償対象に含めざるを得ない場合、実務的にはどう落とし込むべきなのでしょうか。防衛策は以下の3つです。
- ① 総額キャップ(上限)の厳格な設定
「いかなる場合も、本契約に基づき甲が支払う補償額(弁護士費用含む)の累計は、過去12ヶ月間に乙から甲に支払われた対価の総額(または〇〇万円)を超えないものとする。」という金額の防衛線を必ずセットします。これがない補償は無限責任と同義です。
- ② 「FRAND条件」への限定
SEPは、特許権者が「公平、合理的、かつ非差別的(FRAND条件)」な条件でライセンスする義務を負っています。したがって、補償の対象を「裁判所が最終的に認めた合理的なFRAND料率の範囲内(=正規のライセンス料相当額)」に限定し、相手方が恐怖に駆られて勝手に結んだ法外な和解金などは対象外にします。
- ③ 「顧客が正規ライセンス(パテントプール等)を取得する際の費用一部負担」への変形
「万が一、本製品の標準規格に関して第三者からライセンス契約の締結を求められた場合、甲(ベンダー)の義務は、乙(顧客)が当該第三者または該当するパテントプール等と正規のライセンス契約を締結する際の実費(ロイヤルティ)のうち、本製品の売上比率に応じた一定割合(ただし、上記①の上限を超えない)を負担することに限られるものとする。」
💡 なぜリスクが激変するのか?
SEPでトラブルが起きた時、ベンダーが提供すべきは「代替品」ではなく、「正規のライセンスをお金で解決してあげること(ただし自社が許容できる上限枠の内側で)」だけです。義務の性質を「技術的な回避(不可能)」から「金銭的なライセンス支援(コントロール可能)」へとあらかじめ変形させておくことが、実務上極めて重要な防衛術となります。
4. 世界(グローバル)ではこの矛盾をどう整理しているのか?
「規格を守ると自動的に特許を侵害してしまう」という、この一見おかしな不整合について、世界の知財実務や裁判例は現在、以下のように非常に合理的な整理を行っています。
① 「差し止め」の制限:リスクをお金の話に昇華させる
通常の特許であれば、侵害すると「製品の販売停止(差し止め)」という破滅的なリスクがあります。 しかしSEPの場合、最高裁の判例(米国のeBay判決や、英国のUnwired Planet事件など)や各国のガイドライン(日本の特許庁や経産省の指針)において、「実施者が誠実に交渉している限り、特許権者による差し止め請求は原則として認められない」というルールが確立しています。 つまり、世界的な潮流として、SEPリスクは「ビジネスが止まるリスク」ではなく、「適正なライセンス料をいくら払うかという『お金(経済的リスク)』の問題」として処理されます。だからこそ、契約書でも過度に怯えて「防御(Defend)」を丸抱えする必要はなく、最終的なコスト分担の議論に集中できるのです。
② サプライチェーンのどこで処理すべきか?(完成品 vs 部品)
グローバルでは長年、SEPのライセンスは部品メーカーに与えるべきか(License to All)、完成品メーカーから取るべきか(Access for All)という激しい論争がありました。 現在の自動車(コネクテッドカー)やIoTの世界的な実務では、特許権者は「最終的な完成品(エンドデバイス)の価格」をベースにライセンス料を回収したがる傾向(EMV:市場全体価値アプローチ)が優勢となっています。 そのため、部品(通信モジュールなど)のベンダー側が安易に「非侵害保証」をしてしまうと、部品の売上を遥かに超える「完成品全体の高額なロイヤルティ」を部品屋が背負わされるという構造的破綻が起きます。 世界の実務ではこれを防ぐために、「ライセンス料の交渉・支払いは原則として完成品メーカー(顧客側)が主体となって行い、サプライヤーは技術的なサポート(技術資料の提供など)に留める」という整理が一般的になっています。


まとめ:SEPは「知財の特殊災害」。通常ルールを適用してはならない
通信や共通規格を扱う現代のビジネスにおいて、標準必須特許(SEP)は通常の特許とは全く異なる性質を持つ「特殊災害」のようなものです。FTO調査で事前に潰せる性質のものではありません。
そのため、契約書に「非侵害保証」の文字を見つけ、自社製品に通信機能が含まれていると気づいたら、即座に「標準規格の適用除外条件」を提案してください。
「規格だからしょうがない」と諦めてリスクを丸抱えするのではなく、契約書上で言葉の境界線をきっちりと引くこと。これこそが、IoT時代のサプライチェーンを生き抜く法務・ビジネスリーダーに求められる最大の防衛術です。

参照情報リスト
本記事の執筆にあたり、以下の公的ガイドラインおよび国際的な法制・動向を参照しています。
日本におけるSEP交渉の「誠実さ」を客観的に評価するための4つのステップを定義した、実務上最重要の規範
サプライチェーンにおけるライセンス階層(部品か完成品か)の議論や、各国の主要な判例を網羅した実務的な解説書
複合的な部品から構成される製品(自動車等)における、適正な特許価値(ロイヤルティ)算定に関する日本の基本的スタンス
- SEPの透明性向上、EUIPOによる必須性判定やFRAND料率算定の枠組み構築に向けた規制動向
米国:eBay Inc. v. MercExchange, L.L.C. (2006年 最高裁判決) ── 差し止め請求の要件を厳格化
欧州:Huawei v. ZTE (2015年 欧州司法裁判所判決) ── 誠実交渉のプロセスの枠組みを確立
英国:Unwired Planet v. Huawei (2020年 英国最高裁判決) ── グローバルなFRAND条件の設定権限に関する判断
